ダイハツ・ジーノミニライトスペシャル660㏄ 歴史と神話の山戸隠散策
紅葉狩
〈霊峰戸隠山〉
鬼女紅葉が住んでいた場所はどのようなとこか、紅葉狩の舞台となった戸隠山についての紹介です。
戸隠山は一つの山ではなく、九州の阿蘇山のようにいくつかの山が集まったものを「戸隠山」と呼んでいます。主峰は八方睨で標高は1,911m、これに西岳、五地蔵岳を含む表戸隠山、乙妻山・高妻山の裏戸隠山を合わせて「戸隠山」という一つの霊山となっています。
昔から戸隠山は山岳信仰の霊場として栄えていました。その起源は平安時代までさかのぼる、修験道の霊場として「戸隠山顕光寺」が開山したことに発する、顕光寺の縁起(社寺の起源・由来や霊験などの言い伝えを記した文献の紹介)
嘉祥3年(850)一人の行者が飯綱山(今の長野県戸隠村)に登り、七日間にはたり西の方にある大きな山に向かって読経、その後に独鈷と呼ばれる修験者の道具を投げ道具が落ちた場所に行くと、9頭を持った龍が現れ、行者は法力で龍を封じ込め、顕光寺を建立したとされています。龍を岩の戸で岩窟に封じ込め、この地を「戸隠」と呼ばれるようになりました。一説によると行者が法華経を唱え、龍は自ら岩窟に身を隠したとも言われる。龍は戸隠神社の祭神として祭られています。
もう一つ戸隠の由来となった話が、戸隠神社の由来による説です、こちらの方が一般的です。
神代の昔、天照大神は弟須佐之男命の乱暴に絶えかね、天の岩戸にお隠れになり、八百万の神々は相談の結果、岩戸の前で賑やかに祭りを行い、何事かと大神が岩戸を少し開けたのを待ち構え力持ちの神・天手力男命が岩戸をこじ開けて、大神を岩戸から引っ張り出し、この時天手力男命はこじ開けた岩戸を投げ飛ばし、一つの戸は日向の高千穂、もう一つは信州の戸隠に落ち、それが戸隠山になったと言われています。